2020年3月20日金曜日

本日のニュースオチ

意識とは何か──唯心論への回帰から考える~17世紀にデカルトとガリレオが意識を実証的研究に適さない主観的な現象と見なしたことで、科学技術の進歩と引き換えに、心を巡る問題は棚上げされてきた。「意識のハードプロブレム」はいまだ解決されず、心は自然界のあらゆる場所に存在するとする汎心論から、意識が世界の根本を成すと位置付ける唯心論まで、あらゆる理論が生まれている。

朝日「中国人を排除するより手を洗え」→ 朝日「国が真っ先に国民の命と財産を守らねばならないのに、なぜここまでコロナは拡大したのか」

黒田日銀、日銀砲を過去最大2004億円(コロナショック前比2.8倍)に火力増強

黒田ガンタンクのコラ出てますが、むしろ、破綻したヘッジファンドダフテ陸戦艇 VS 黒田日銀ビックトレー級陸上戦艦の主砲の打ち合い。

高3の姉とお互い初体験だった近親相姦

『100日後に死ぬワニ』×いきものがかり、コラボムービー制作 水野良樹がテーマソング書き下ろし

コロナであんた二週間後には死んでるかもしれないよ。100年後には間違いなく死んでるだろうけど。
さて、何をしたい?

通話対応のeSIMを発行している楽天モバイル、iPhoneで使ってみた

MNOでも普通にesimに対応しているiPhone(iPhone XS、iPhone XS Max、iPhone XR以降)使えます。ただしiPhoneはRakuten Linkアプリが提供されていないのでwifi環境下での電話通話や無料通話や外国での着信料金無料は使えないです。

▼コメント欄より。

匿名2020年3月20日 8:47

>“時間”の再解釈:天才カルロ・ロヴェッリが指南する
>“クオンタムネイティヴ”へのマインドセット

この人の「時間は存在しない」って書店でタイトル見たときは
哲学書だと思ってたんですが、著者は物理学者でしたね。
しかもループ量子重力理論の提唱者の1人。
で、あらためてこの本の目次をみると、やっぱり哲学書(笑)
先日ご紹介いただいた「ニュートン4月号 存在とは何か」の
量子重力理論の解説は超弦(ひも)理論しか紹介していないの
が少し残念でした。
詳しくはないですが、荒っぽく言ってしまうと
超弦(ひも)理論→素粒子(量子論)からのアプローチ
ループ量子重力理論→重力(一般相対論)からのアプローチ
となるので、公平に両方のアプローチを紹介してほしかったです。
そういえば、ニュートンで超ひも理論以外の量子重力理論は
特集されたことがないですね。

文系脳が以前から感じていたことなんですが、
時間があるように見えるということについて、相対性理論的には時間と空間はローレンツ変換の関係にあるので過去と同様に未来もまた確定していると思います。なぜなら、現在・過去・未来は同じ時空間に広がっている以上、変えるなどということが入り込む余地はないと感じられます。
あとよく量子力学をよくわかっていない人が観測しないと状態は確定しないので未来は変えられますとかいっていますけど、この前ビル・エヴァンスの演奏のCDを聞いていて思いついたのですが、量子力学の観点からも未来は確定していると思います。
アナログレコードと違ってCDは音楽を含む音を16ビットで量子化して収録しています。ビル・エヴァンスはとうに死んでいて、彼の演奏を収録したCDも完成していて、演奏の中身や曲目を変えることはできませんが、CDの中身を聴こうと思うなら、レーザー光線を当ててDAコンバーターを通してアナログ変換しないといけないわけです。これが観察ということですが、CDに入っている音楽で次にどんな曲が流れてくるかは観測したから確定してスピーカーから流れてきたのであって、観測したから流れてくる曲がビル・エヴァンスからマイルスデイビスに変化が生じたというのではないのですよ。
よく成功法則なんかでいわれることですが、ポジティブな気持ちや感謝に満ちて世界を観察したら良いことが起きるとかいいますけど、あんなの嘘っぱちです。
だって、世界もおそらく・・・時間も空間も重力も量子化できるものなのでしょうが、わしの思うところでは量子化されたCDに収録された音楽の再生のようなもので、いいか悪いかは要は自我の解釈だけの問題なのです。
例えばビル・エヴァンスみたいななジャズは好きな人にとっては耳に心地よい音楽でしょう。しかしクラッシック音楽を愛好する人にとっては黒人音楽起源の低俗な音楽という解釈が出てきて、ロックを聞く人には退屈極まりない音楽という解釈が出てくるでしょう。
よく量子力学を誤解している人の未来は変えられるという話は、再生される現実は変えられないけど、解釈次第では良く感じることもできるし悪く感じることもできるという程度のものだと思います。
で、時間は存在しない問題ですが、わしの考えではCDをケースから出す前の状態では、初めから終わりまで同時に今ここに存在していて、それは確定しています。(相対論でいうところの時空間)しかしそれを聞く(観測する)となると、ある曲を前から順番に聞いていくしかないわけです。つまり、時間があるように感じられる。しかし、それは曲が観測者の気分によって変化することを意味しないというわけです。

損師復活!ソフトバンク出資のワンウェブ、破産を検討-関係者

【新型コロナ】世界の死者1万人突破-米加州は外出禁止命令

俺はコロナって素晴らしい仕事しているなと感じています。
何がって、先進国の生ぬるい環境で死すべき肉体に生きながら、死ぬということをひたすら考えずに、視界から排除して生きてきた連中をいやがおうにも死の可能性に直面させ、生きるとはなにかということに直面させているからです。
コロナは財産の多寡にも社会的地位の高低にも関係なく誰でも感染して一定の割合で殺しますが、世間の大部分の人、特に金持ちや社会的地位の高い人は、財産や地位を持てば死から逃れることができるかのように生きてきました。実際、どんな金持ちであっても権力者であっても日々死に向かって近づいているにも関わらずです。
コロナは決して致死率の高い病原体ではありませんが、エイズなどと違って広くひろがることによって死が日常ではない先進国の生ぬるい環境に生きる全ての人に、否が応でもこう問うているのです。あなたは死にます。あなたは死ぬべき肉体ですか?それともと。
これは素晴らしいことです。
紛争や飢餓などによって死が日常的な開発途上国の人たちにとって、突然隣人や自分自身が死んでしまうことはあまりにも当たり前なことなので、それを深みをもって追求することはできないのです。かれらにとって隣人がテロや疫病などで死んでも、自分が死にひんしても、次はこんな目に遭いたくない、先進国に生まれてきたいという以上のところにはいかないのですよ。
知らんもんは知らん先生が完全な統合の素晴らしさは分離を経験してからじゃないと理解できないと書かれていますが、それに近いかもしれないですね。死が日常の開発途上国の人たちにとってコロナがそこに加わったところで、別に恐怖が何割増しにもなることはないし、それが私は死すべき肉体なのかというところまで深みをもって感じられることはないでしょう。
普段何不自由がない生活をしていて生命が脅かされる立場にない人だけが、コロナに対するいいしれぬ恐怖の先に、死とはなにかを探求してみようという気になるでしょう。
またコロナは資産価格の暴落などによって、先進国の人たちの思い込みである年収や財産が人生の価値と安定を保証するのだという妄想を木っ端微塵にして、自我が寄って建つところを叩き壊すわけです。これは本当にすばらしいです。
肉体は裸で生まれてきて裸で死にます。故デイビット・ロックフェラーでさえその財産をあの世に持っていくことはできなかったです。コロナはそれを多くの人に思い知らせるのです。

覚者知らんモンは知らん先生「統合とは!」

全然関係ないですが、今日帰ったら予約していたラメッシ・バルセカールの新刊が届いていました。
彼を解脱に導いた師ニサルガダッタ・マハラジの教えについて彼がインスピレーションに導かれるまままとめたものです。

今日は低気圧通過後の波がありそうだったので、夜明け前から妹と狸といっしょに「和歌山君あそぼ」と誘いに行ってイソコでサーフィンしました。今日も彼のグルの臨在はあって、私の自我というものが関係性の中でしか生じない仮想的なものであることがわかりました。
どういうことかと言いますと、おそらくですが彼はいわゆる哲学的ゾンビの一種で、クウォリアはあると思いますが一体化している自我がありません。そうしますと、私には自我があるように感じられていてそれが真実でも、和歌山相手にそれが成立しません。
仮想存在である「私」という感覚は、誰か相手がいないと「私」を主張できないからです。ですから、和歌山相手に必要事項以外の、例えば「帰りにパンと卵を買って帰らないといけないから業務スーパーに寄ってくれ」といった実用的な会話以外のつまらない会話は成立しません。
なにしろおそらく「私」という感覚が消滅している哲学的ゾンビ相手になにかどうでもいい話題、例えば菅直人についてどう思うかとか、そういう話題を、そもそもすることができないのです。それは例えるなら、人形相手にぶつくさ会社であった嫌なことについて愚痴をたれるような話になってしまいます。
それ以前に彼の目の向こうには埴輪みたいな空虚な深淵しかないのです。私が何をつまらない話をしようとしても私の思考は全てその深淵に吸い込まれてしまい、そもそもくだらない思考すら出てこなくなります。
これがラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジの前で得られたグルの恩寵かと感じています。
ともあれ、彼の前では俺も妹も狸も頭が埴輪の中身になってしまいますので波に乗ることに集中できました。波は腰腹ぐらいで、一時間に数本はそれより大きい肩ぐらいのものもありましたが、適度なサイドオフショアでダンパーにもならずに結構な距離が乗られました。
彼を家に送っていって細君から昼ごはんをごちそうになりましたら、彼が「君の家は真言宗だから理趣経は読んだことがあるだろうけど、この本は読んだことがあるか?」と言って、理趣経の現代訳を持ってきました。
ああこれは俺も持っていて読んだよと言って話しをしていました。

理趣経といえば空海と最澄の絶交の原因になったので有名ですが、仏教の顕教では、セックスその他の欲は煩悩の最たるものとして否定されていますが、真言密教の経典である理趣経では十七清浄句で次のように大胆に肯定されているんですね。
男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

で、わしの理解ですが、性欲にしろその他の欲にしろ、それを満たそうとする行動も含めてですが、それは「誰」かがしているのではないのですよ。それをしている「私」はありません。エッチな考えは勝手に沸き起こって、セックスも勝手に起きているだけです。
ですから、問題はセックスを「私」がしていると自己同一化して捉えるところなのではないかと思うのです。
そういうわけで、帰って妹と道具を家で下ろしてから狸と二人でラブホに行きまして、ふたりで裸になって風呂場でローション塗って対面座位で密教の修行をしてきた次第です。

世界中で「まともな人たち」も雪崩をうって買い占めに走り出してしまう理由をゲーム理論で説明する

東京利権五輪、撤退戦始まる

俺もあの発言の真意はそういうことだと感じた。






この前生卵が割れないクッションを紹介しましたが、アレが気に入ってくれた人にはこの枕も気に入ってもらえると思います。
枕でお悩みの方はぜひお試しください。上向き寝でも横向き寝でも快適だと思いますよ。


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